最初に感じたことはそれだけだった。本当に、何年もの間忘れていたような気がする、そんな懐かしい匂いだった。
振り返ると、風になびくストロベリーブロンドが私の視線を釘付けにする。
つやつやした肌に、少しつり上がった強気な視線。どこか大人びた雰囲気のある彼女は、実に二年ぶりに会う、かつて私の憧れだった――いや、今でも憧れてはいるのだが――レイラ・ハミルトンの姿がそこにあった。
高嶺の花
いつの間にか疎遠になってしまう友人というのは、人生をそれなりに生きてきた人ならば一度は経験したこともあるだろう。
しかし、私と彼女は違う。彼女が新たな夢に向かい、歩み始めて遠いところへ行ってしまっても互いに連絡を怠ることはなかった。
スターになるべくして生まれた彼女――こんな言い方をしたらきっと彼女は怒るだろうな――とは違い、ただの憧れだけでこの世界へ飛び込んできた私に誰よりも優しく、
そして誰よりも厳しく接してくれた彼女に私はいつのまにか憧れ以上の感情を抱き始めていることに気付いた。
その事に気付いてからだろうか、私は彼女との距離を離そうとしてしまった。いや、物理的な距離ではなく、心の距離をだ。
忙しいので、と言い訳しては電話を受け取らず。手紙は簡潔な文章のみで返信をする。彼女にとって失礼に当たる、と思いながらも私はひたすらそんな事を続けていった。
そうして、会わなくなって二年。連絡を取らなくなって一年。その間も私は、カレイドステージに立ち続け、彼女はきっと舞台に専念し続けたことだろう。
心の底で、こんな気持ち、消えてしまえだなんて思いながら、一日たりとも消えなかった想いを胸に秘め、そうして私は彼女に出会ってしまった。
「お、お久しぶりです、レイラさん…」
驚きを隠せずに、目を真ん丸くしてそういう私をレイラさんはじぃっと見つめた。やっぱり昔と同じように、そんな目で見られると少し怖かったりする。
「そうね。本当は今年の夏にでも貴女に会いに来る予定だったのだけれども、貴女がメールの返信をしないものだから、来れなかったじゃないの」
「あ、怒ってます…?」
レイラさんの表情は読み取りづらい。初めて会った時なんて、いつも怒っているように見えたものだった。
しかし、それはレイラさんの素の表情であり、だからこそ偶に見せる笑顔は破壊力があるのだと、私は思う。
私はメイとロゼッタに呼ばれて、練習場へ行く途中だった。携帯電話を近頃購入してみたのだが余り持ち歩く癖はつかなくって、今日だって家に置きっぱなしだった。
そんな、家に置きっぱなしの携帯電話が鳴ったのがつい先程。メイが送った「練習場に来い」とだけ書かれたメールを見て私は向かっていたのだった。
レイラさんは、Tシャツとスパッツ姿の私を見て、察したのだろうか、
「別に、怒ってなんていないわ。それより、練習があるのでしょう?早くいってきなさい」
とだけ言うと、スーツの胸ポケットからサングラスを取り出し、実家のある方面へと歩き出してしまった。
――やはり、私の煮え切らない態度に多少なりとも不満気ではあるようだ。
――……カシャン。
練習を終えて、寮の私の部屋へ帰ると、妙な物音が聞こえた。
もう三年近くも住んでいる私の部屋は、カレイドステージの花形が住むにしてはこじんまりとしたワンルームである。
レイラさんと幻の技を演じて、そうしてレイラさんがカレイドステージを去って、
流されるがままにいつの間にかカレイドステージのスターとなった私にとって、スター、という実感は余り沸いてこなかった。
今の自身の演技自体も、昔のレイラさんには遠く及ばないような気はしているし、何よりも特別扱いされることが余り好きではなかった。
だからだろうか、半年ほど前にもオーナーであるカロスに、寮とは別の部屋に住んだらどうだ?と言われたが、断ったのだった。
私は奇妙な物音の方へ歩み寄ると、そこにはフールがいた。
そういえば、昨日シャワー浴びる時に机の引き出しに入れっぱなしだったな。
きっと、フールは丁度良いタイミングで机の引き出しをこじ開けて出たのだろう。疲労困憊、という表情をしている。
…妖精は疲れるのだろうか?
「ねぇ、フール」
私は、ロゼッタとメイにも言わなかったことを、口走った。
「さっき、レイラさんに会っちゃった」
「ふむ…。それにしては、余り元気がないようだが?」
「そりゃそうだよ。フールも私のそばにいたから知っているでしょう?」
フールは、ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる。
「まぁな。だが、普通ならば好きな人と出会えれば、喜ぶはずだろう?」
回りくどく、まるでフールは私に何かを『言わせたがっている』ような、そんな言い回しだった。
「嬉しいよ。そりゃ、レイラさんだもん。でもね、フールには分からないだろうけど、女の人が女の人を好きになるなんて、普通じゃないの。
きっと、レイラさんだって気持ち悪い、って思うよ」
ベッドにボフン、と倒れこむ。
浅い、とても浅い眠りにつきたかった。深く寝ては、夢を見てしまうから。
実際には浅い眠りのほうが夢を見てしまうらしいのだが、私は深い眠りに落ちたほうが夢を見るような気がしている。
レイラさんが私の想いに応えてくれる夢。
それは、私にとって幸福な悪夢であった。
「それじゃあ、お前はレイラのこと、嫌いじゃないんだな?」
「何を言ってるのよ、フール…。嫌いなわけ無いじゃない、寧ろ好き。大好き。でも、レイラさんに嫌われるのを怖がって、告白も出来ない私は大嫌い」
何だか、急に悲しくなってきて。
さっきまで寝転がって見ていた天井が滲んでいく。
――ああ、何故私はレイラさんを好きになってしまったんだろう。
例え私が男であっても、高嶺の花である、私なんかが手も届きもしない、あの人を。
こんな時ばかりは、自分の性格を恨む。
『やってできないことはない!やらずに出来たら超ラッキー』
が信条の私だが、こればかりはどうしようもない。
「だとさ、良かったな」
フールがふわふわと浮かびながら、日頃のお返しだと言わんばかりにニヤついている。何か企みに成功した、そんな表情である。
フールの視線の先を辿ると、昨日フールを閉じ込めた引き出しが見えた。
少し開いている。
中を覗くと、まだ買って間もない携帯電話の液晶が『通話中』と表示している。
発信相手は見たこと無い番号。
「ちょっと、フール!!これ、誰に…――」
私の言葉が遮られる。玄関の戸が開いて、レイラさんが私の目の前に現れたからだ。
――片手に携帯電話を持って。
「あ、あの…」
まさか、と嫌な予感を感じて、声が震える。
「全部、聞いたわ」
――ああ、終わった。
と思った。
私の初恋は、こんな無残な形で終わるのか、と。
「本当、バカね。貴女は」
レイラさんと目があわせられなかった。
「スイマセン、レイラさん。私…私…。気持ち悪い、ですよね」
「だからバカなのよ、貴女は」
レイラさんは私の涙をそっと指で拭い去ると、言葉を続けた。
「いつも、困難なことにチャレンジする貴女はどこへいったの?どんなに無茶だと思えることも、真正面に――それこそ愚直だといっていいほどの、あの一生懸命な貴女のこと私は好きだったの」
「れ、レイラさん」
強気な視線も、腰まで届くほどのストロベリーブロンドも、全部全部私にとって高嶺の花だった。はずだった。
「でもね、私にとって、その人当たりの良い性格や、なんにでも楽しめる性格は、遠すぎた。私にとって、高嶺の花だったのね。いつの間にか、失敗することを恐れてたの、私は。だから――」
――思い出す。
一緒に、特訓した日々を。どんなに困難で、誰もが無茶だと思えることでも私達は挑戦した。
そんな日々を、ふいに思い出させるような、そんな言葉だ。
「私は今日、挑戦するわ。――だから貴女も、昔みたいに、無茶だと思えることでも、挑戦して見なさい」
いつの間にか、涙は止まっていた。私は昔のように応える。
「はいっ!レイラさん」
「それじゃあ、いくわよ」
レイラさんは一拍置いて、少し頬を赤らめながら私の目を見つめる。
「ソラ、私は貴女が好き。ずっと、私の傍にいてちょうだい」
短い、でも、想像もできない言葉だった。
なんだ、と私は少し笑った。
なんだ、私もレイラさんも同じだったんだ。
「私も、レイラさんが好きです。ずっと一緒にいてください」
一方、レイラさんは拍子抜け、というか少し驚いたような顔をしていた。
「も、もしかして、何か変でした…?」
「いえ、貴女の事だから、もっと元気の良い告白をしてくれるものだと思っていたわ」
互いに笑い合う。
こんな告白の仕方なんてあったんだと。
それから、どちらからするでもなく、まるでそうする決まりでもあるかのように、キスをした。
互いの唇をついばむようなキスだったが、それでも私達は少し恥ずかしげに笑った。
――……
「そういえば、レイラさんってフールの事、また見えるようになったんですね」
「ええ、少しだけね。昨日、最初にソラと会った後にフールを見かけて」
モーニングコーヒーを淹れながら、私はレイラさんの昨日の『企み』について問いただすことにした。
「それで、フールに相談したのよ」
「相談…ですか?」
レイラさん自体が相談するだなんて珍しい。相談相手がフールだなんて、少し人選ミスの様な気もするが。
「ええ、ソラに嫌われているんじゃないかって」
「あはは…、すいませんでした」
「もういいのよ。それで、フールが作戦を思いついたの。以前、貴女がカロスに仕向けたサラへの告白同様のをね」
「ああ、それで携帯電話…」
納得がいく。
昨日は、いろいろな感情が混ざってぐちゃぐちゃになってしまったため、深くは考えられなかったが、やっと理解できた。
「それよりも」
「はい?」
「一年ぶりに会うのだもの、会えなかった分今日頑張ってもらうわよ」
「な、何を頑張ればいいんですかっ?」
突然、レイラさんがコーヒーをテーブルに置き、私をベッドに押し倒す。
「こういうことよ」
悪戯っぽい笑みと共に、レイラさんは私の首筋に唇をつける。
「は、はひっ!頑張ります、ます、ます…」
そうして、私は高嶺の花に墜ちていく。