「う〜ん、どうも最近変ダナ」

エイラは誰に向けるでもなく、ベッドの上で胡坐をかきながらポツリと呟いた。

月光に照らされた部屋の中では、エイラの他にもう一人少女がいる。

そのもう一人の少女は、ぬいぐるみを抱きしめ体を横にしていたがエイラの呟きに反応して体を起こす。

「――どうしたの?」

「あ、ゴメン起こしちゃったか」

「ううん、いいの。もう少しで夜間哨戒始まっちゃうから、もう起きないと。それでどうしたのエイラ?」

「サーニャ、一回でいいから、私のこと《イッル》って呼んでくれないか?」

「うん、いいよ。・・・イッル」

サーニャは小さな口でエイラのあだ名――とはいっても、このあだ名で呼ばれるのはエイラの祖国だけで、501の中では呼ばれることは少なかった――を口にした。

「・・・うーん、やっぱり違うナ」

やはりエイラは首を傾げて、何かを考え込んだ。



あだ名とあの娘と



早朝の501部隊の城内は静かだ。

起床の鐘が鳴る前に珍しく起きたエイラは少し外気が涼しい廊下を抜けて、外までやってきた。

冷たい井戸水で顔を洗うためだ。

まだ、うっすらとしか明るくない外に出て顔を洗うと、何処かで人の声が聞こえた。

「・・・何ダ?誰かいるのカ?」

海の近くまで行くとエイラは声の主の正体を知った。

坂本少佐と宮藤だった。二人はひたすら扶桑刀に似せた木の棒(これが宮藤か坂本少佐だったら木刀と呼ぶのだが)を素振りしていた。

偶に早起きするリーネや、坂本少佐目当てで早起きするペリーヌなら知っていることだったが、滅多に早起きなどしないエイラは宮藤と坂本少佐が朝練していることを知らなかったのである。

「少佐と・・・宮藤か。何してんダ?こんな時間に」

あくまで独り言の音量で言ったはずなのだが、その声はどうやら坂本少佐の耳に届いたらしく、坂本少佐はエイラの姿を見つけた。

「なんだエイラじゃないか。どうだ?お前も朝練するか?」

「えーいいよ私は・・・。扶桑刀の扱いなんて知らないし・・・、まぁ暇つぶしに朝食まで見ているからサ、続けていいよ少佐」

「はっはっはっは!!そういわれればそうだな。まぁ、見ているうちに分かるだろう。よしっ、宮藤!あと素振り200回だ」

「はっ、はい!!」

エイラは宮藤の声を聞いて、頬が緩むのを感じた。

一生懸命に汗を流す彼女を見ながら、エイラは一週間前の事を思い出していた。



――――……

「エイラさーん!!」

エイラはすることも無く、基地内をぶらぶらしていると突然宮藤から声をかけられた。

一応部隊内では《真面目》な部類に入る――あくまでもハルトマンやルッキーニと比べてだが――宮藤が、こんなに悪戯っぽい笑いを浮かべているのはエイラは初めて見て、何となく嫌な予感がした。

「な、なんだヨ」

「さっきですね、ミーナ中佐と話していたんですよ。それで、部隊の皆が前にいた部隊でどんな風に過ごしていたかっていう話題になったんです」

「何が言いたいんダヨー」

確かに501部隊に配属する前、自分がどんな人物かを詳細に綴った報告書が部隊長であるミーナに渡ったのは覚えているが、エイラはその報告にどんなことが書かれているのかは知らなかった。

「エイラさん、スオムスではイッルって呼ばれてるんですね!私もイッルって呼んでいいですか!?」

「絶対いやだ!何で宮藤にイッルって呼ばれなきゃいけないんダヨ、恥ずかしいダロ」

「むー・・・。じゃあ、今日の晩御飯、ニシン出しますよ?」

「わ、私の嫌いなものまで聞いたのか、お前・・・」

半ば脅迫的な言葉を口にした宮藤に、エイラは屈するしかなかった。

渋々、といった具合でエイラはそれを承諾すると宮藤は嬉しそうにそれから数日間は私のことをイッルと呼んだ。

しかし、二日ほど前から飽きたのか宮藤は再び前の呼称に戻ったのだった。

……――――



「む、そろそろ朝食の時間だな。よし!そろそろ朝練終了だ!!」

坂本少佐が朝の静かな空気の中そう叫ぶと、宮藤は汗を拭いながら素振りをやめた。

額で玉になった汗が前髪を貼り付けているのを指で取りながら、宮藤はエイラに近づいてきた。

「エイラさん、朝ごはん行きましょう」

「宮藤は毎日朝練してるのカ?」

「はい。どちらかというと坂本さんの練習に付き合わせてもらってるって感じですけど」

「――そか。まぁ、いいんじゃないカ。私には扶桑流の練習法は知らないけど、その、格好良かったゾ」

「本当ですか!?」

「ま、まぁ少しナ」

宮藤はもし使い魔を顕現させてあの丸っこい尻尾を生やしていたのなら、ブンブンと振っていたのではないかと思うくらいエイラの一言に喜んだ。

「あ、そうだエイラさん。食べたいものとかあります?今日私晩御飯の当番なんですよ」

「食べたいものカー、そうだな宮藤が・・・」

と、言いかけてエイラは言葉を止めた。『宮藤が作ったものなら何でもいいよ』だなんて恥ずかしい言葉を危うく口を滑らせかけたエイラは顔を赤面させて、「べ、べつに何でもいいゾ」とわざと素っ気無く言ったのだった。



思えば、彼女にイッルと呼ばれたあの日からかもしれない。

彼女が私に向けて何を言うのかがやたらと気になったり、彼女の笑顔が私の心をここまで掴むようになったのは。

リーネと仲良く話しながら朝食の席に着いた宮藤を眺めながらエイラはそんなことを考えていた。

「ん、どうかしましたか?エイラさん」

宮藤はエイラの視線に気付き、リーネとの会話を止め、エイラの方向を向いた。

「ん、い、いやなんでもない」

「あ、そだ。エイラさん、今日っておヒマですか?」

「んー、一応は暇だけド・・・。何かあんのカ?」

「今日シャーリーさんと街まで買出しに行くんですけど、二人じゃちょっと荷物持てないんでエイラさん一緒に行きませんか?」

「ヤダ、私じゃなくてリーネと行けばイイダロー」

「あの・・・、私は今日用事が・・・」

申し訳なさそうに言うリーネを尻目に、エイラは他に言ってくれそうな人を探したがミーナ中佐が横槍を入れた。

「エイラさん、頼まれてくれないかしら?」

「むー・・・中佐が言うならしょうがないナ」

渋々了解すると、宮藤を顔をぱぁっと明るくして、お礼を言った。

「いいヨ、たいした仕事じゃないシ。それより隊の皆に欲しいもの聞かないとナ。行くのは午後からカ?」

「はい。私も皆に欲しいもの聞かなくちゃ」

と、宮藤はそう言うと、サーニャを除いた全員は食堂に集まっているので早速隣に座っているリーネに話しかけた。

宮藤の視線が切れたのを機にエイラはサーニャへのお土産を考えるのに集中することにした。



シャーリーの運転するトラックに乗り込むのは二度目である宮藤は割りと平気であったが、初めての体験であるエイラはローマに到着した頃にはげんなりとしていた。

「大丈夫ですか?エイラさん・・・。あ、これ水です」

宮藤は水筒に入れた水を手渡すと、ぐったりとしたエイラは短く礼を言った。

「シャーリーの運転、少し乱暴すぎないカ・・・?」

「いやー悪いな。つい乗り物となるとレーサーの血が騒ぐっつーかさ」

「笑い事じゃねーヨ・・・・」

「あはは。ごめんごめん。宮藤、エイラについててくれないか?私は買い物に行ってくるからさ。エイラが回復したら食品の方頼むよ」

シャーリーは手をヒラヒラさせると颯爽と人ごみの中に消えていった。

レンガ畳の綺麗な町並みに宮藤は見蕩れながらエイラの横に腰を下ろすと、しばらく無言の時間が続いた。

ローマの日差しは暖かく、赤錆色のレンガが日を反射してキラキラしているのを物珍しそうに眺める宮藤を横目で見ながら、エイラは頬を緩ませた。

10分も経つとエイラは回復し、宮藤をつれて食料品の買出しに出かけた。



休日とあってか、メインストリートでは露天が立ち並び、それぞれ自慢の商品を店頭に並べては騒がしく客寄せの声が飛び交っていた。

「何かのお祭りみたいですねー。すごいな、ローマって」

「私んとこもこんなに人が集まるような都市は無かったナー。んで、足りないものってなんだ?」

「えーっとですね・・・」

宮藤は扶桑海軍の制服のポケットからメモ帳を取り出すと、読み上げていった。

「塩にチーズにパスタの麺・・・それからお米にトウモロコシ・・・。こないだロマーニャ空軍からの支給品でジャガイモとかトマトがたくさんきたみたいなんで、そんなに多くはないですね」

「でも二人で買うには多すぎるナ・・・」

「で、ですよね・・・」

それからまた無言で二人は歩き出したが、人ごみが多すぎて偶にはぐれそうになるになる度に、エイラは宮藤の手を握りはぐれないようにしていた。

「エイラさんって、実は優しいですよね」

「『実は』ってなんダヨー」

「あはは、すいません」

「な、なぁ。もうイッルって呼ぶの飽きたのカ?」

そっぽを向きながらエイラは、恥ずかしげにそう言い出す。宮藤はポカン、と一瞬エイラの言葉に呆気に取られる。

「だってエイラさん。嫌がってたじゃないですか」

「そ、そうだけど・・・。なーんか宮藤にイッルって呼ばれるの耳に心地いいんダヨナ」

それが何故かは、エイラは知らなかった。

もしかしたらエイラは心のどこかで宮藤と親しくなりたかった、というのもあったのかもしれない。

「いいんですか!?じゃ、じゃあ、私のことも宮藤、じゃなくて芳佳って呼んでください」

「エー!?それは恥ずかしいダロ!」

「むー・・・、じゃあ私もエイラさんって呼びます」

折角恥ずかしい思いまでして、イッルとい呼んで欲しいといったのに、ここでへそを曲げられたら全て水の泡だ、と焦ったエイラは、口を尖らせて視線をずらしてボソボソとその名を呼んだ。

「しゃ、しゃーねぇナ。よ、芳佳・・・」

「何ですか?イッルさん」

宮藤の笑顔に心奪われ、顔を真っ赤にしたエイラは早足になり宮藤の数歩先を歩き始める。

「あ、イッルさん、待ってくださいよ〜」

宮藤は、突然歩幅を広げたエイラを必死で追いかけるのだった。

何故、宮藤に愛称を呼ばれるのが心地いいのか、何故宮藤の笑顔を見るのがこんなにも恥ずかしいのか。

悶々とエイラの頭の中にはそんな疑問が飛び回っていた。

これが恋心だとエイラが気づくのはもう少し後の話しである。


芳イラ第一弾。結構無駄な描写が多かったり、少なかったりで見づらいですね
芳イラの時の芳佳はもうすこしSっぽくてもいいような気がする
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